古都出身マラクニマンの刹那の日誌…客観的な観察と、時に暴走する情動が交錯する…呂蒙は云った「士、三日会わざれば刮目して見よ」…都落ち寸前、ラスト落ちサムライが今宵討ち入る…かもしれない。


by harapin56

生きることに疲れる一瞬はある。人間だもの。そして、生きろ。

第二章:

「24時間超過労働。電車が俺の布団。」


俺はその当時、カラオケ屋のバイトをしていた。
前章で出てきたバイト先というのはこれに該当する。
月に4万くらいの稼ぎだったと思う。
当然ながら、仕送りもない状況でこんなんじゃ生活できない。
といっても、いきなり自分だけシフト増やしてください…
なんて、そうそう上手い具合にシフトを組んでもらえたりはしない。
もちろん、「都合悪くなったら、僕が全部入りますから!」
と、周囲に働きかけ、前に比べたら格段にシフト数は増えたのだが、
それでもシフトのコマ数の限界はある。
決してお世辞にもめちゃくちゃ仕事ができる人間ではなかったので、
店長も気を遣ったし、やはりスタッフから苦情が出始めていた。
だから、俺はもう一つバイトを増やすことにした。

年末年始の繁盛期ということもあって、俺はあっさりと居酒屋に受かった。
しかし、新人であるが故になかなかシフトが増えない。
店長はここで鍛えて後に…と考えていたのかもしれないが、
その当時の俺は、「今稼ぎたい!」というそれだけだった。

結局その稼ぎを足しても暮らせるレベルになかったので、
もう一つだけバイトを増やすことにした。
連れが働いていた、京都駅構内のam/pmである。
ここが後にバイトとしては骨を埋める場所になるなんてその時は思いもしなかった。
俺は即日採用になった。

この時、バイトは掛け持ち3つ。
基本的には朝:コンビニ 昼:カラオケ屋 夕方:居酒屋かコンビニ 夜:カラオケ屋
という流れになっていた。
早朝5時にカラオケ屋をあがって、コンビニに6時出勤なんてざらだった。
コンビニの朝勤がない限りは働き詰めだった。
今考えたら、いつ寝ていたのかと思う。
この時あまり布団の上で寝ていた覚えがない。
確か移動の電車の中が俺の布団だった。
朝勤がないときは、阪急電車で「河原町~梅田」を行ったりきたりして昼まで寝た。

大学が始まっても、俺のこの生活は変わらなかった。
とにかくそれどころじゃなかった。
今考えれば、「大学も行きながらなんとか出来たんじゃないか?」
と思うが、その時はどうやらバカでそういう考えは浮かんでこなかったらしい。
まぁ、しかし、生活能力の全くない奴がいきなり独力で生活せざるを得ない状況だと、こう極端になるのも仕方ないのかもしれないとも今は思う。

この年度の後期の取得単位は8単位だった。
[PR]
by harapin56 | 2006-10-27 14:50 | 自己発信