古都出身マラクニマンの刹那の日誌…客観的な観察と、時に暴走する情動が交錯する…呂蒙は云った「士、三日会わざれば刮目して見よ」…都落ち寸前、ラスト落ちサムライが今宵討ち入る…かもしれない。


by harapin56

人はそれぞれのはずが…如何に?

はっきり言って、明日の研修に行きたくない。

トヨタの「ドライブ・ユア・ドリーム」のように、会社にキャッチフレーズをつけること、半年。

『ヒュ○マン・ドリ○ム・サポ○ト・カンパニ○』 (○=-)

仰々しいフレーズをつけられた。

しかし、こんなもの、当たり前なのではないか?
…と思う。
各人が胸の奥に秘めておけばよい。

また、こうも思う。
仮に、大々的にこれを打ち出したことを軽い気持ちで善しとして、
その後、声高にそれを叫び、そしてそれに縛られなくてはならんのか?
…と( -_-)

これは会社の在り方を示したものに過ぎない。
一つの在り方の指針にはしていいと思うから、迷いが生じたときにこれを見つめなおす、という使い方は肯定できる。
だが、これに縛られることは、つまりは教典のように絶対的に不可侵なものを背負うことと同義ではないか?

そこまでのものなのだろうか…???

『お前はサポートする姿勢がないから、=駄目な奴だ!!』

そう言いたいのだろうか?

会社という集団はある意味宗教じみないと、皆が同じ方向を向いて走れないから、必要といえば必要なのだろうけど、こうした十字架にはなるべきではないと思う。

人は皆自分のなかに答えを持っているのなら、こういった十字架を背負わせることはしなくていいんじゃないかな?
それとも、やっぱり人は自分のなかに答えを持っていない?

さぁ、この矛盾をどう考えたらいいのか。
それを明日の自分の議題にしたいと思い、ペンを置くことにします。
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by harapin56 | 2006-11-29 23:04 | 自己発信