古都出身マラクニマンの刹那の日誌…客観的な観察と、時に暴走する情動が交錯する…呂蒙は云った「士、三日会わざれば刮目して見よ」…都落ち寸前、ラスト落ちサムライが今宵討ち入る…かもしれない。


by harapin56

幸せのバラ。

今日試験がすべて終了した。
必修なので落とすと卒業できない。
毎月会社の研修とバッティングしながらなんとかやってきた。
授業は『文化と人間形成』という。
教育心理学、社会学の分野に該当すると思われ、非常に興味深い授業だった。

その中で、ある文化においてのアイデンティティーとはなにか?という定義があった。
1:自分が自分をどうとらえているか
 (自分自身の独自性と過去との連続性)
2:他人が自分をどうとらえているか
 (自分が社会や他者から承認されているという受容感)

こんなことをこの場に晒すことは恥ずかしいことだと思うけれど、色んな決意を込めて記したい。
そしてこれは自分との会話なんだということを忘れない。

俺は人に認めてもらいたいという想いが強い。
だから「おまえなんかいらない」と、突き放されるととても傷つくね。
でも、こう想っているのにいざ、
誉められると対応できない自分がいると気付いたよ。
正直どうしていいのかわからないのだ。
誉めてもらって嬉しいと、ココロの底から思えない。
愛想笑いをしている自分がいる。
今までを思い返してみる。
親は俺を大いに愛してくれていた。不満などない。
でもなぜだろう…誉められた記憶がまるでない。本気で一切ない。
きっとそんなはずはなかった。
でも思い出すのは…怒られたこと、否定されたこと。
仕方ない。そうさせるような行動を繰り返してきたから、
自ずと怒られる回数も増えるし、否定したくもさせる。
そんな中でも誉められた経験、一回くらいあってもいいもんじゃないか?
なんで、記憶がないんやろう…。
そういうマイナスのことだけを自分自身で意図的に記憶に留めてきたのだとしたら、なんて悲しい生き方をしてきたんやろうか。。
存在を否定されると傷つく、
だから誉められたい、
でも誉められるような行動に結び付かず、
結局はまた否定される。
それでも誉められることを欲し、叫んでる。
誉められても素直に喜べないのに…。
これはなんのゲームなんやろう?
自分でもよくわからない。
不毛なことだけはわかる。

「あなたのいいところは何ですか?」

そう言われたら俺自身が答えられない。
わからない。今まで何も自分一人で達成した経験ないし、仕方ないことだと思う。今までの生き方のつけが来た。誰も責めれない。自分以外誰も。

言葉はいつでも嘘をつく。
もちろんそのためだけに言葉があるわけじゃない。
でも嘘をつける道具でもある。
逆に、行動で嘘をつくのは難しいよね。
だから、その人の在り方をみればだいたい人格がわかるだろう。
自分の在り方はどうやろうか?
約束を破ること、
借りたものを延滞すること、
事前に済ませればいいものを先延ばしにすること、
…ここには共通したものがある。

「その場しのぎ」

見えたね自分の生き方。
これやわ、すべての根源。
人の信用を失う生き方。幸せにはなれない生き方。
じゃあ俺は不幸になるために生きているの?
…違う。幸せになるために生まれてきたよ。
誰か幸せのバラをプレゼントしてくれる?
…いや。幸せのバラは自分で掲げるんよ。
誰のものでもない俺の人生やんか。
俺じゃなきゃできないこと。
だから今度こそ今までの自分にさよならを云おう。
言葉は重いもの。誠意の具現化。
そしてなにより行動で、背中で示そう。
俺の将来の理想像は「背中で語れる人」やったよね。
すねたり、挫けているのからは脱皮しよう。
今の自分を受け入れて…そして抜け出そう。
悪循環の穴から出るか、出ないかは俺の足次第。

          

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by harapin56 | 2006-01-19 15:53 | UP↑系