古都出身マラクニマンの刹那の日誌…客観的な観察と、時に暴走する情動が交錯する…呂蒙は云った「士、三日会わざれば刮目して見よ」…都落ち寸前、ラスト落ちサムライが今宵討ち入る…かもしれない。


by harapin56

先日の続き。

自分の考えるエリートの定義とは以下の通りである。

①幅広い知識を備えていること。

②教養に富んでいること。

③使命感をもっていること


①②に関しては、もはや当然としてよい。

問題は③の有無ではなかろうか?

イギリスの貴族を例にとってみよう。
彼らは生粋のエリートである。
幼少の頃から、上層教育を施され、教養・知識ともにハイレベルなものが求められる。
しかし、それだけではない。
彼らは、『自国の民を守る』という使命感に満ちている。
事実、彼らは戦争の際、先陣をきって飛び込み、兵を牽引する。
この辺りがアジアの貴族とは異なるのだが(どうも、アジアの貴族はぶくぶくと太っていて、有事には何もしないというイメージがある)、いざという時は責任を全うするのである。

日頃、民から税金を巻き上げて暮らす貴族が許されるのも、こういった背景があるからであろう。
当然、戦闘において前線を張るためにはそれなりの武芸も必要である。

つまりは、すべてにおいて彼らは人並み以上を保っているのである。

そして、それは必ず使命感と一体である。
昨今の政治家に当てはめてみると、①②はあるが③はないという人間が多いように思われる。


さて、文才があまりないために、至極論理的に説明できた自信はないが、エリートの条件に使命感が欠かせないという主張は理解いただけたであろう。

では、塾において我々が果たすべき役割は何か?

それは①に他ならないと私は思う。
無論、①以外の要素をまったく盛り込まなくてよい…というわけではないが、その人には塾以外の様々な環境があることを考えれば、塾の分を越えてはならないと思う。
だからこそ、我々は全力で知識人を育む教育をせねばならない。
塾の一講師としての本文は、そこにあるべきだと私は考えます。
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by harapin56 | 2007-02-28 21:21 | 自己発信